清澤暁子「寺の娘」


 本日のギャラリートークの担当は、京都芸術センターのアートコーディネーターの清澤暁子。彼女は門真市にある願得寺という大変にありがたい名前の寺に生まれ、すくすくと育ちました。今回は、「寺の娘」という近代文学の香り漂うタイトルのもと、寺での生活について(というか彼女の半生について)、話をしました。
 僕の両親は共働きで、サラリーマンと自営業をしていたので、正直、寺での生活がどのようなものなのか、検討もつきません。毎日読経しなくちゃいけないのだろうか、お肉は食べてはいけないのだろうか、クリスマスパーティなんて持っての外なのか、などなど色々と妄想していましたが、実際に話を聞いてみると、案外普通の生活だったようです。少なくとも彼女はそのように言いました。
 しかし、この「普通」というのが結構曲者で、誰かにとっては「普通」のことであっても、別の誰かにとっては「すごいこと」・「珍しいこと」、というのは今回の一連のトークでもたびたび見受けられます。そして今回のお話でもやっぱり「すごいこと」・「珍しいこと」というのはありました。たとえば、お祭りのの寺の敷地内に露店が出たり、あるいは、小学生1年生のときに「法事」という言葉をしっていたり・・・。
 
 家の文化や地域の文化は、僕たちの個々人にしっかりと影響を与え、思想や感覚にもおそらく大きな影響を与えてることと思います。「思います」と書くのは、家や地域の文化は自分自身にとっては「普通」のことだし、あまりに身近なことなので相対化することが出来ない、その結果、僕たちが影響を受けているのかどうか分からないからです。だから今回のように、人の家の話を聞くのは、単にその人のことを知るだけではなく自分自身のことを知るという意味でも、とっても興味深いです(もっとも、このような仕方で自分自身もしくは自分の家族のことを相対化してみると、たいてい場の場合、そこで明らかになるのは、美点というよりかは恥部のような気がします。。)

ちなみに・・・。上記写真では伊達さんが渋い顔をされていて、清澤が説法しているかのような厳しい表情を見せていますが、トーク自体はいつも通りまったりしてました。念のため。