斎藤光「蕎麦屋で酒を」

 夜の部の担当は、斎藤光さんです。斎藤さんは京都精華大学の教授。これまで京都、北海道、東京の大学/大学院で、主に科学史を研究されてきました。お昼の部の橋本さんがそうであったように、今回もまた専門以外のお話をしてもらいました。タイトルにあるように、蕎麦屋のお話です。

 ところでみなさんは、ご自身が原理主義的傾向をもっていらっしゃると思いますか?突然何を聞くかと思われたかもしれませんが、どうやら、政治や宗教に限らず、ある対象に並々ならぬ愛情を持つと原理主義的にその対象を妄信するようになる人が、世間には少なからずいるようです。そしてたちの悪いことに、そうした原理主義者たちは自らの信ずる対象こそが真実であり、それ以外は虚構であって害悪であると考えるに至り、他者を否定するように振る舞うのだそうです。
 
 多少おおげさに書きましたが、斎藤先生によれば、いま書いたような原理主義的な傾向を持った蕎麦好きがいるそうです。その名も、ざる蕎麦原理主義。蕎麦のもっとも美味しい食べ方はざる蕎麦である(原理主義者の立場からすれば「蕎麦のもっとも正しいあり方はざる蕎麦である」)という信念を持った人たちのことです(ちなみに斎藤先生は危うく、ざる蕎麦原理主義者になりかけたそうです)。

 しかしなんで、ざる蕎麦には原理主義者がいるのでしょうか。とんかつ原理主義者とか、幕の内弁当原理主義者とかいるのでしょうか。どうにも想像できません。
 ざる蕎麦という素材の持つ味を味わうという食べ方が原理主義者の持つ「原点主義(最初の状態こそが正しいとする考え)」的な思想と相性が良かったのかもしれません。あるいは、ざる蕎麦というシンプルな形式が、シンプルであるがゆえに硬派な思想を受け入れるにいたったのかもしれません。

 いずれにせよ、蕎麦の世界は奥が深そうです。。